2016年07月08日

あるタンゴ弾きへの哀歌(M.D.プホール 〜YouTube動画)


では
題して「ムカシの動画でお茶を濁そう」シリーズ第三弾としまして
(変なタイトル付けてもしやシリーズ化?)
前回に引き続いてプホール繋がりで、今回は
『あるタンゴ弾きへの哀歌』のYouTube動画を載せてみたいと思います。


でも実はこの曲も、以前同ブログで紹介させていただいたことがありまして、
(2008年3月『あるタンゴ弾きへの哀歌』)
その時の記事では音声だけを載せてみたのですが、今回は絵も一緒に見ていただければと考え思い切って公開することにしました。
ですがそれって、まるで販売中止になった商品をパッケージだけ変えて新しく売り出すみたいで、中身が変わってないだけになんとなく詐欺商法の様な気がしてウシロめたいような……(汗)


曲についての解説は過去記事のリンクを見ていただければと思うのですが、今回この動画を作成していて実は一か所どうしても上手くいかなかった場所がありまして
第三楽章エピローゴの中間部分、スローに唄う場面で一瞬映像が途切れてしまうのです。
これは原盤の映像ファイルからパソコンで動画を作成するときに起きてしまったトラブルでして、私のスキルではどう頑張っても修正することができませんでした。
お聴き苦しい点がございますこと、心よりお詫び申し上げます。
でもでも決してこれは「おっきなミスタッチしたから」とか「思わずオナラ出ちゃったから」とか、そんな理由でカットしたりしたわけでは決してございませんので、どうかそのよからぬ想像をして楽しんだりしないようくれぐれもお願いいたします(笑)


まあそんなわけで、もしよかったらちょっとだけでも
画面の再生ボタンをクリックしていただけたなら大変うれしく思います。
拙い演奏ではありますがどうぞよろしくお願いいたします。


Elegia por la Muerte de un Tanguero



それにしても、改めてこうして自分の古い演奏記録を見ますと
私にとっては恐らくこの頃がキャリアの中での全盛期だったように思います。
知命を越えた今、もう間違いなくこんな難しい曲を仕上げることは不可能でしょうし、テクニックもそうですが、体力的なものや腰や膝や手首や指や、何より爪など、おそらくこんな曲を弾こうとしてももう身体が保たないと思います。
悲しいかな、それが人生というものかもしれません。

でも、肉体的な衰えを悲観していても始まりませんし、いっそ気持ちを切り替えて
これからは今現在自分の置かれた状況、環境の中で、出来る範囲で楽しんでゆく方法を模索してゆこうと思っています。
せっかくこんな素晴らしい趣味を続けてきたのですから、何も大曲を弾きこなすことだけが正しいわけじゃないはず。
定石にとらわれない、自分ならではの新しい楽しみ方を見出すことこそ、キャリアを重ねてきたオトナとしてのあるべき姿なのかもしれませんよね。

今回この一連のムカシ動画の公開は、そうした自分の中の(若い頃の自分への)未練を吹っ切るためにも必要なことだった、とも思えるのです。
とにかく、まーだまだ弾きたい曲は山積していますし、音楽を楽しむ方法はいくらでもあるはず。
決意も新たにこれからもずっとギターを楽しんでゆきたいと思います。
(ま、ぼちぼちですけどね(笑))



posted by nao at 16:51| Comment(5) | TrackBack(0) | 動画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
好きなギター音色を自分の動画で残すことは
素晴らしいことですね。

いつかはこのような動画が残せるようになりたい
ものです。しかも、naoさん同様に哀愁の漂う
素晴らしい音色で。
Posted by Tommy at 2016年07月09日 09:38
naoさま

続きを読んでしまうと、その達観した境地に言葉もありません。

肉体の衰えは必然で、美魔女(*´艸`*)や80歳でエベレスト上っちゃう人、野球やサッカーのスーパースターもいますが、逃れられません。・・・ときっぱり自分のためにも言い聞かせるつもりで(;・∀・)

認める潔さの度合いが半端ない、やっぱりnaoさんらしいですね。
こんなにも素晴しい演奏をされる腕前だから(見識も含め)、私の想像をはるかに超えた辛さもあるでしょうが、、、

以前の仕事仲間で、学生時代スポーツ選手として活躍してた人がいました。
『若いころに好きなスポーツやってると年取ってからそれを趣味でできていいわね〜』と軽い気持ちで言ったら、
『それは大間違いよ!若い時に大好きである程度のぼりつめちゃうと、時間たっていざ取り組むと以前の自分程度はできて当たり前と思ってしまって、プライドもあって、やり過ぎて体を壊すのよ。好きなのに年相応の趣味として付き合えないのよ。そういう人をたくさん見てきたし、自分もそう。。』
と言ってたのを思い出します。
気を悪くされたらすみません。

でも、だからこそ、今の自分を大切にして精一杯することが何よりだという知恵を得て、付き合う距離感を保つ強さが大切でしょうね。変化を言い訳に逃げるんでなく、naoさんのように受け止めて、そしてそんな気持ちも含めて大人の雰囲気たっぷりのギター(なんか言葉がいやらしくなってますね💦そんな気持ちはまったくありません💦)を、naoさんにしかできない演奏を聴かせてくださいませ。
できればお友だち価格で・・・(;'∀')、できればず〜〜〜っと(;'∀')

長くなってごめんなさい。上手くまとめられませんでした。yukii
Posted by yukii at 2016年07月10日 21:22

Tommyさま

いつもご覧下さいまして、そしてコメントまでお寄せ下さり本当にありがとうございます。
自分の動く姿を映像で残すというのは、それがしかも演奏だったりすると余計にそれはもう恥ずかしくて気持ち悪くて仕方がないものですが(汗)
でもしばらく時を置いてから見直したりすると案外冷静に見れたりして、人間て面白いものだと思います。
(ただ「喉元過ぎれば〜」なだけなのかもしれませんけれど)

活動記録、というだけでも価値のあることかもしれませんし、よろしければTommyさまもぜひ、すぐにでもビデオカメラを三脚に載せて普段の練習風景から記録してみてはいかがでしょう。
きっと後で「撮っておいてよかった」と思える日が訪れるはずだと思います。

どうもありがとうございました。

Posted by nao at 2016年07月10日 21:54

yukiiさま

なんという温かいお言葉でしょう。
そんなにも深い部分までこちらの気持ちを汲み取って下さって、もう感謝の言葉もありません。
といいますかうれしくてありがた過ぎて、思わず涙が出そうになってしまったぢゃないですかぁ!!
(照れ隠し)

まあでも、仰る通り
「自分はこの位弾けて当然」という考えがもう通用しなくなっている(加齢による衰えのせいで)という事実をある日突然突き付けられるというのは、自分自身に対する認識をガラリと変えなければならないということですので、その葛藤との戦いというのは確かに苦しい日々でした。
ですが、そこから学んだことというのも非常に多かったですし、それらは多分これからの人生にとても役立つことではないかとも思うのです。
もしかしたら、例えばある程度の年齢になってから始めた人なら
「もっと早くから(若い頃から)始めておけばよかった」と悩んでしまうのと同じように、若くから始めていてもやっぱり悩みが生まれてくるものなのかもしれませんよね。(例え悩みの内容が違ったとしても)

ただひとつだけはっきりしているのは、悩みが生まれるということはつまりそれだけ真剣に、一途に一生懸命取り組んでいるからこそですよね。
そこはきっと誇りに思っていいのだと思うのです。
弾けたか弾けないか、という結果だけを求めるのではなく、そこに至る過程がどうであったか、どんなことに悩んでそしてどんな風に克服(あるいは許諾)したか、そこから学んだことこそ最も価値あることなのかもしれません。

ちょっと大げさになってしまったかもしれませんが、そんなことまで考えさせてくれるギターという楽器は本当にすてきだと思います。
ぜひこれからも、環境は違えど一緒にずっと続けてゆきましょう!
ほんとうに、心からありがとうございました。


Posted by nao at 2016年07月10日 22:43
naoさま、ありがとうございます。

『真剣に一途に取り組むからこそ悩みが生れる』・・・
悩む自分が悲しくて情けなくて(;´д`)トホホなもんで、その言葉結構すごい効果あります!!(^^)!

こうやっていっつも助けてもらってます(*ノωノ)立場逆転ですね(〃ノωノ)

でも、まぁいっか(*´艸`*)よ〜〜し!がんばるぞ!

 

これからもよろしくお願いします!!(^^)!   yukii

Posted by at 2016年07月11日 19:12
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