以前このブログでもお伝えした、佐村河内守氏作曲の
『交響曲第1番 HIROSHIMA』の演奏会に行って来ました。
(過去記事 : 交響曲第一番 "HIROSHIMA" 佐村河内守 )
その記念すべき演奏会は、2013年2月25日(月)池袋の東京芸術劇場にて
大友直人指揮 日本フィルハーモニー交響楽団の演奏で行われました。
もちろん作曲者の佐村河内守氏も奥様と一緒に来場されていました。
このときの巨大な感動と興奮を全て書こうと思ったら紙面がいくらあっても足りませんので、出来るだけ簡潔にまとめるよう努力(だけ)はしてみますが(汗)
とにかく、近来稀に見るほどのあまりにもすごすぎるコンサートでした。
もちろん私にとっては初めて聴くこの曲の生の響きです。
思いっ切り期待して出かけてみましたが、その過大な期待を遥かに超える圧倒的な音楽でした。
第一楽章、出だしの不気味な胎動からじわじわと盛り上がっていって、最初のクライマックスの強奏の時点でもう涙が止まらなくなってしまって、恥ずかしいやらツラいやら(笑)
それほどまでに感動の波に打ちのめされっ放しの演奏会でした。
そこには、あのCDの名演を遥かに超えるものすごい響きが確かに実在していました。
今、あの響きを思い出すだけでじわりと涙が浮かんできてしまうほどの、それはまさに
まるで音楽の持つ力そのものを全身で受け取ったような体験でした。
なぜ
どうしてこんなにもこの曲は、聴き手の心に深く響くのでしょう?
この曲に出会うまで私が一番感動して一番大好きだったベー5やチャイ6を、このHIROSHIMAシンフォニーは軽々と飛び越えて、いとも簡単に(私にとっての)絶対一位の座を独占してしまったのですが、でもどうしてこの曲はこれほどまでの大きな感動を与えるチカラを手に入れることができたのでしょう?
思うに、この交響曲第1番 HIROSHIMAという曲は
作曲者の佐村河内氏の強い"想い"が、全ての音符の中に封じ込まれていて
そしてその"想い"が、指揮者やオケメンバーの全員に伝染して
それであれほどのチカラを持った音楽が生まれてくるのではないかという気がするのです。
そういう印象を持つことができたのも、もちろん日フィルの皆さんのあの熱演があればこそです。
あくまでファン心理の上から、ほんのちょびっとだけ苦言を呈させていただけるなら
例えば木管や金管やシンバルのザッツが揃ってなかったり、Tpのトップの方のデュナーミクが平板だったり、第二ヴァイオリンやチェロの音程が少し狂っていたりとか、いろいろ気になる部分はありましたが
(ああ偉そうに、ご....ごめんなさい(

でもそんなの全部水に流せるくらい気持ちの入った名演を聴かせてくれました。
特にホルンの皆さん(なんと9本も!)それに弦の皆さんがホントにすごかった!
東響のコンミス大谷康子氏のこの曲への思い入れに全くヒケを取らないくらいものすごく気合が入った響きを出されてて、その強い想いが客席にビンビン伝わってきて本当に涙が溢れてしまいました。
終楽章の一番最後の和音、全員の強奏でこの大曲を閉じるのですが
あれほどの魂の入った響きは今まで聴いたことがありません。
大友氏も含め、全員の気持ちがひとつに重なって
まるでホール全体に拡散、充満したかのようでした。
直後、客席はブラボーとスタンディングオベーションの嵐でしたが、私はといえばあまりにも心打たれてしまってただ椅子にへたり込むばかり・・・
あまりの大きな感動に、拍手すらすぐに出来ないほど打ちのめされていました。
ここF島県からはるばる聴きに行って本当によかったと、つくづくそう思える最高の演奏会でした。
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ところで、この『交響曲第1番 HIROSHIMA』のCDですが
昨年の秋にNHKの番組で取り上げられて以来、爆発的に売上枚数を伸ばしているそうで
クラシック音楽の部門でずっと売上1位を記録していたことは記憶に新しいところです。
中でも特に、最も販売数が多かったのが仙台のCD店なのだそうです。
このHIROSHIMAシンフォニー、被災地では
「希望のシンフォニー」と呼ばれています。
そうですね
例えば先の東日本大震災や中越地震や阪神淡路大震災など
大地震を経験された方ならお分かりになると思うのですが
実際に揺れが始まる直前の、あの、どこからか聞こえてくる不気味な地鳴りのような音、
不思議なことにあの地鳴りのような音がこの曲からも何度か聴こえてきて、思わず鳥肌が立ったことは今もはっきり覚えています。
どうしてあんな音を楽譜に書けるのでしょうか・・・
たとえ意図しないことだったとしても、でもそれだけでも驚嘆に値します。
そういった意味でも、この曲こそぜひ被災者の皆さんに
ぜひ、ひとりでも多くの方に聴いてほしいのです。
被災者のひとりである私が言うのですから間違いありません。
あのときの恐怖が、この曲を聴くことで必ず軽くなります。
追体験のような効果か、あるいは最後にほのかな希望を与えてくれるからでしょうか
深い感動と共に必ず心の傷が軽くなるのです。
オケの皆さん
ぜひ、今この機会に被災地でコンサートをしていただけませんか。
どこでも構いません。
非常に多くの方がこの曲を待ち望んでいるはず。
発売元の日本コロンビアさんも、このCDのおかげもあって今期黒字を計上したと聞きます。
今こそ被災地に何かしらのアクションを起こしていただけたなら、本当にうれしく思います。
どうかどうか、お願いですから
今一番必要としている方たちへこの曲を届けてあげて下さい
心の底からそうお願い申し上げます。
涙が止まりません。ありがとう・・・(思い出のアンぴょ画像より)

追記:
作曲者の佐村河内氏は、すでに個人として被災地へ入り
被災者との関わりを始めておられるようです。
2月24日の読売新聞によると、佐村河内氏の次回作は
あの震災で孤児になってしまった宮城県の女の子へ献呈される曲だそうです。
なんと素晴らしい行動なのでしょう。
氏の体調を考えると、遥か遠い東北地方をはるばる訪れるなんて
命に関わるほどの大変なご苦労のはずなのに・・・
この佐村河内氏、音楽家の方として、いえひとりの人間として
心から尊敬すべき方なのではないでしょうか。
うらやましい限りです。
久しぶりにこのCDを取り出しました。
難しい音楽的なお話はできませんし、ちょっと的のはずれた感想を長々書き連ねますのでどうぞながし読みなさって・・そしてお許しを。
この曲、どこの楽章がどうとか どこのフレーズがどうとか うまく説明できないんです。
ただ、さまざまな感情を一度えぐりだされて、あがき葛藤を過ごした後、心落ち着かせていただきながらも、永遠に続く 人間と自然との闘い、または受容しなければならない現実とでもいいましょうか、そんなからみのある最終章へと向かう構成が とても気に入っています。
とにかく、なんど聞いても涙が止まらなくなって・・・本当は今は 封印しておきたい感覚だったのですが、むしろ涙したほうがブラックホールのように果てしない闇を少しは 浅くしていただけるのではないかと思い、また聞いています。
彼曰く 「闇が深ければ深いほど 一瞬ともされた灯は輝きを増す」と おっしゃるように たとえば、震災で 私の想像をぜっするほどの恐怖や絶望を味わい打ちのめされた方たちにとっては 日常のほんのささいな灯りが 生きるエネルギーになるのだと思います。
被ばく2世として生きる彼にとても また 原爆というものは 直接経験はしていなくても Hirosima 福島のことは映像としてイメージできているのではないかと
さて、話は少し脱線。過去10年ほど音のない世界のボラをさせていただきました。聾の方たちの感性のするどさ生きるための情報を目でキャッチするすごさを 映像として情報を処理していく能力の高さに感服もし、また 底なしに明るく前向きな姿に触れ合うにつけ、お手伝いするとかそんなレベルではなく、最終的には 人と人とのかかわりとは 障害の有無ではなく、対等に お付き合いさせていただく関係・そしてその人の魅力にひかれて 活動を共にしていけるのだという大切な姿勢を学ばせていただきました。
ですから 聾の・・・などと いうお触れがつかず、「佐村河内守の交響曲 HIROSHIMA」というタイトルで 一人の作曲家、音楽家のものとして 今 世界中の人々の下に届いていることに喜びも感じています。
しかし、いつ聞いても 涙がとめどもなく流れてくる構成・・音を失ったように見えて 実は、「研ぎ澄まされた音群」を宇宙よりプレゼントされたとしかいいようもないようなそんな音の集まり=オーケストラ編成のように聞こえます。
あの方の記憶の中には 音のパズルが入ってらっしゃるように思えてなりません。
そして その音を 聞き分けていくnao様の耳も これまた すごいものなんだろうと 改めて 想像しています。一縷の光をいただけるような記事の提供ありがとうございました。
もうすぐ 3月11日 【被災された方々の心が少しでも 穏やかに過ごせる時がありますよう】
guitarrakaoさま
いつもコメントお寄せ下さってどうもありがとうございます。
とても深くすてきなコメントで、こちらも非常に多くのことを気付かせていただきました。
この『交響曲第1番 HIROSHIMA』という曲、私が思うにもしかしたら
ひとの心の内にある 優しさや思いやり、博愛といった部分をもう一度思い出させてくれる・・・
そんな力を持っているのでは?というように感じます。
この曲自体がそうした気持ちのカタマリのような曲ですし、恐らく佐村河内氏ご自身もそんな方なのではないかと思うのです。
日々の激痛に耐えながら必死に曲を書き上げても、自分では決してその音を聴くことができない・・・
そのむなしさ、やるせなさを乗り越えるだけでもとんでもないことなのに、今ではそれ以上の
「他者(ひと)のために」曲を書き続けようとしておられます。
そうした、誰にも真似の出来ないこの作曲家さんの決意、信念のようなものがこの曲から知らず知らずのうちに私たちに伝わって
それで、この曲からこれほどの大きな想いを受け取ってしまうのではないでしょうか。
この曲を聴いて涙された方は、必ず同じ想いを内に抱いている方だと思います。
ですのでそのお気持ちをこそ大切に、そしてもしかしたら今度は私たちの方こそ
そうしたパワーを使う番が来たのかもしれません。
そうして、このムーブメントが少しずつ広がってゆくことこそ、もしかしたらこの作曲者佐村河内氏の今最も望んでおられることなのではないかなと思ったりしています。
どうかぜひ、いつまでも聴き続けていってほしいと思います。
どうもありがとうございました。